突然ですがみなさん、食事をするのはなぜでしょう?単に空腹を満たすため、であるとか、肉体を維持するため、という目的でしょうか?
それは事実なのかもしれませんが、味気ないですね。
実は、食事は食事そのものを楽しむため、という視点をとりいれると食事はもはや手段ではなく、目的になり、ぐっと楽しいものになります。
なぜならその視点でとらえると、食事を錠剤や手軽な栄養飲料で効率的に済ませたり嫌いなのに無理して食べようとするのではなく誰と、どこで、どんなものを食べたら楽しいかな、という思考に切り替わります。
そのように思考を切り替えると偏食して心配だった子供が、楽しい食事の雰囲気で、すんなり好き嫌いが減るかもしれませんし、偏食する子供に対して、ご両親もゆったり構えていられ笑顔のあふれる家庭になるのではないでしょうか。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、
働くことやそのなかでコミュニケーションを図ることにおいても同じことが言えます。
『働く』≠『お金を得るための手段』というよりも『働く』=『生きることそのもの』、つまり目的そのものと定義すれば
『仕事におけるコミュニケーション』が『業績を上げるための手段』というよりも『生きることそのもの』という視点が生まれます。
お金のために働くというのはある意味事実かもしれませんが、お金を得る手段としてしまうとたくさん得るために無理して働いて心や体を壊してしまったり、ついついお給料を時給に換算してゲンナリしてしまって本来楽しめるはずの仕事を楽しめなくなり、業績が悪化し、さらにお給料が減るという悪循環を招いてしまったり、、、
あんまり幸せな考え方とは思えません。
同じように、コミュニケーションする目的に業績を上げることと位置づけてしまうと業務時間において、業績を上げる以外のコミュニケーションが否定されてしまうのですから、コミュニケーショーンが義務的、業務的な報連相に始終して無味乾燥な感じがします。
でも、コミュニケーションそのものを目的とすればコミュニケーションそのものが楽しめ、より相手のことを知り想い会え強みを伸ばしあい、弱みを補完しあえる強い組織ができてしまうではなかろうか、結果的に業績アップにつながるのではなかろうか。
そんなおいしい考え方から『コミュニケーションそのもの』を目的としてある試みがスタートしました。その内容については翌日のリポートをお楽しみに♪